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僕の夏はすっかり記憶の中にあると感じている。
僕はまた夏の中にいながら、記憶の中の夏に、夏を見いだしている。
思い出の夏に生きながら、現実にそれに照合するような景色がたちのぼるとき、僕はたまらない気持ちになる。
夏がずっと続けば良いと思う。
そんなとき、自分を蝉みたいだと思う。
永遠の夏休みを求めているのかもしれない。
14の夏休みに部屋にこもって、デジモンのVHSを延々見続けたときの
切なさが今も自分の中にある。
それは放っておくとどんどん薄れていくのだけど、
(それは大人になるための過程なのかな?と思うときもある)
僕はそれを掴んで離したくない。
デジモンの見せた風景を手放したとき、
それまでずっとひきずってきた、ただの虚無感に
また取り残されてしまうような気がするから。
昨日、8月1日は太一たちがデジタルワールドに旅立った日で、
そんな日にお台場に行く、ということを初めてしてみた。
デジモンのことを思っていた風景は、自分の中だけのものと思っていたので
そこに他のファンが集まっているのや、コスプレイヤーの姿を見て
そこに現実をみて、とても寂しい気持ちになってしまった。
僕の見ていた風景はやっぱりなかったのか、と感じた。
(ここまで8月2日に記した文章です)