コロナで、何も先の見通しがつかない状況が続いている。

始まった頃はメディアが騒ぐほど大したことじゃないだろうと思っていたけど、

想像していたより深刻な感じだし、もしかしたら自分もかかるかもしれないし、戦争みたいに社会が変わる節目になりそう。

流石にもう大したことないようには振る舞えない。

 

既に世の中、色々と変わってきていて、いつ収束するのかもわからないけど、

これが終わった後にくる世の中は、コロナ以前のものにはもう戻れないだろうなと思う。

ゆっくりとした、引き延ばされた死の時間の中に生きているようで、毎日悪い夢をずっとみているような気分で過ごしている。

この後に来るのは、神戸で見た震災後に再建されたニュータウンみたいに、除菌されたイメージのクリーン過ぎる世界なんだろうか。

そう思うと、自分は今のうちに少しでも汚物を残しておきたいと思う。

 

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毎日、ネットで中毒みたいにずっとニュースを見てしまう。

メディアに編集された情報はどこか偏っていて、気持ちを煽られる。

不満や苛々は多々あるけど、社会をぶっ壊す要因の一部にならないように、冷静でいなくてはと思う。

 

最近のリベラルたちは、むしろルサンチマン的に見えることが多くなってきた。

安倍には自分たちに対しての愛がないし、大したことを言っているような態度で、でも具体的な解決策を明言しない中身の掴めない(中身のない)ことを言っているだけの部分には、虚無的な気持ちになるし、気持ちが悪いと思う。

自分の考えを自分の言葉で発信していく人たちは立派だと思う。

オルタナティブなアイデアを考えず、ただただ嫌いだから「やめろ」と言うのは、

不安や不満をぶつける矛先を、

何か「これを叩くとカッコいい」対象を見つけて叩いてるだけのルサンチマンに見える時がある。

ただ嫌いだから、いなくなってほしいと言うだけなら、ただのレイシズムヘイトスピーチをするネトウヨと、対象を変えただけで構造は同じ気がする。。

「やだからいなくなってほしい」だけではなくて、その後に、自分や自分の周りの人たちにとって、どうなってほしいのかということも考えて、発信行動していなくてはいけないなと思う。

自分が何を望んでいるのかわからない。

批判するのがいいと思わないけど、気づいたら愚痴っぽいことばかり考えている。

 

先日、同居人と喧嘩をして、思いっきり押してしまった。

何があっても、女性には手をあげてはいけないのに、、

高校生の時に母親を押して、父親にブチ切れられたことを思い出した。

父親のことは話の全く通じない、思い込みの激しい一方的なクソ野郎と思っていたけど、

気づいたら自分も文句の通りの人間になってしまった気がする。

そんな父も女性に手をあげるなんてことは断じてしなかったと思うけど。。

暴力なんて、余裕のない弱い人間のとる手段だと思う。何も解決されないし、後味の悪さだけ残る。愚痴だってそうだ。

冷静に落ち着いて。悲観的なのは結局批判ばかりで何も生み出せない。

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結局、日本人。情動的に揺さぶられるものが一番にわかる。

抗うべきものには抗って、アホみたいに楽しむものは楽しみたい。

流されることを恐れすぎて、流行に対してのカウンターをとるのも

結局流されてて、わかった気になったようで却って視野は狭くなり

窮屈な生き方だと思う。

寂しいのは嫌なんだけど、孤独さが足りない。

結局寂しいのは居心地悪いし、孤独さのない生活は何か色気の足りない鈍った感じがして、

じゃあどうしたらいいんだって思う。

そこで人のせいにするのも違うと思うけど。

 

すっかりロマンティックさや色気を失った自分。悲しいね。

 

安心の川の上に立っている気分。流れの強い川の、岩でぽつりと。

ふと日記のことを思い出して開いてみた。一年以上更新してなかった。

過去の投稿を読み返してみると変な文章が気になる。

そんな風にどんどん普通化されていく自分。

 

今もまた一人の時間になったので、これを書いている。

この一年の間に色々あったけど、

相変わらず人との生活に居心地の悪さを感じていて、

いよいよ引っ越そうかなと思っている。

 

一年で変わったことは、初めて就職しちゃったのとタバコを吸うようになったことでしょうか。

仕事は相変わらず同じことしてて、クソ退屈です。

絵はほとんど描いていないけど、気持ちは諦めていない。

 

ひねくれが加速していて、いよいよ何をしていても楽しめない具合になってきたんだけど、

そもそも最近は楽しみを求めに外に出ることもやめてしまっていて、

こんなのは全く望んでいない。

何を楽しみにしていたのかも忘れちゃったよ。

 

軽い本を作る話があって、絵もあんまり描けそうにないので

文章でも書いてみようかなと思い、まあその練習って感じです。

 

クソ退屈な仕事で得た金はほとんど本を買うことばかりに使っているんだけど、

その本も本当に頭に入っているのかは不明。

 

寒いとダメだな。

特に書く事もないんだけど、日記的に。

今32歳です。

およそ10年間住んだ場所から、先月引っ越してきた。

はじめて、人と一緒に住んでいる。

仕事は相変わらず、前回の日記描いた時と同じデータ入力の仕事を週に5日やっている。

絵というと、月に一度定期的に入ってくる仕事で描く他には全然描いていない。

今は久しぶりに休日に一人になったので、キャンバスをひろげてその目のまで日記を描いてみてる。

何を描いていいのかが本当に良く分からなくなってしまった。

考える事なんて、椅子はどれにしようとか照明はどうしようとか、何が欲しいかとかそんなことばかりで、その状況が気持ち悪い。

漠然とした窮屈さや息苦しさ、中途半端が気持ち悪い感じがある。

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一人で音楽聴きながら絵描いてたら気持ちがかなり落ち着いてきた。

ひょっとしたら誰かと一緒に住むのはまだ早かったのかも、、

とか言っていないで、一緒に住んでいても落ち着いていけるような生活の仕方していこう。

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そろそろ展示の絵の事も進めていきたい。靄。

悲しい気分が強くない時は、特に文章を書く気にもなれないのは、昔から。

なんとなく日記をとどめておきたいんだけど、最近はこれといって平凡な毎日で、

それなりに悲惨な状況でありつつも充実したような毎日を過ごしている気もするので

強く感情的になることもなくなった。

 

近況としては、ずっと働いていた最低な印刷屋をやめて、最近は派遣で音楽にまつわるデータ入力の仕事をひたすらしている。

 

あとは、ずっと高校生の頃からもしかしたら自分はHIVに感染してるんじゃないかと不安だったのだけど、

先日初めて検査を受けにいって陰性だったので良かった。

 

何に興味があるのかがよくわからない状態になっていて、絵も全然描いていない。

音楽も熱中して聴かなくなってしまった。